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横浜地方裁判所 昭和51年(ワ)1765号 判決 1982年5月21日

原告

山本章夫

右訴訟代理人

庄司捷彦

増本一彦

長谷川宰

野村正勝

増本敏子

中込泰子

被告

医療法人社団

広田胃腸病院

右代表者

広田和俊

右訴訟代理人

山根篤

下飯坂常世

海老原元彦

広田寿徳

竹内洋

馬瀬隆之

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二同2(一)の事実について

1  同2(一)の事実のうち、昭和五〇年五月一二日、原告が被告病院において、原告の腹部疾患について第一回目の開腹手術を受けたことは当事者間に争いがない。

2  第一回手術の執刀者について

(一)  大矢が、第一回手術当時、医籍登録されていなかつた事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、大矢は、昭和五〇年三月に大学医学部を卒業、同年四月一〇日ころ医師国家試験を受験してそれに合格し、同年七月一六日に医籍登録を経たものであるが、これに先立つ同年五月一日ころから被告病院に勤務し、被告病院常勤の医師である院長及び小柳の指導下に、医療の実習を兼ねてその補助的業務に従事していた事実が認められる。

(二)  次に、右大矢が原告の第一回手術の執刀にあたつたか否かについて、それに関する事情を検討すると以下(1)ないし(4)の各事実が認められる。

(1) 大矢の諸検査及び投薬の指示

<証拠>によれば、第一回手術に先立つて被告病院において実施された原告に対するX線写真撮影、血液及び尿の検査、心電図録取等の諸検査、及び投薬(但し、投薬についてはその一部)は、大矢から看護婦又は検査担当者に対して発せられた指示に基づいてなされ、そして大矢は右諸検査の結果について、被告が第一回手術の執刀者だと主張する小柳に報告していない事実が認められる。

(2) 手術前後に原告が感知した状況

原告本人尋問の結果によれば、第一回手術が実施されるにあたり、原告は手術台に横たえられ、その胸部付近にカーテンが張られ、原告自らその腹部あるいは下半身方向を見ることができない状態で、手術開始直前ころ、カーテンの向う側で、小柳らしき者が誰かに早口でしきりに様々な指示を与えており、原告には、不慣れな者が執刀するように感じられ、この後麻酔により意識を失い、午後六時半ころ目を覚したときには、非常に静かで誰かが一人で原告の腹部の上あたりで作業をしていた様子がうかがわれた事実が認められる。

(3) 大矢の術後説明

<証拠>を総合すれば、第一回手術後、原告の妻山本裕子は、被告病院の看護婦詰所に呼ばれ、そこで、大矢に、右手術によつて摘出された原告の虫垂を示されながら、手術前後の原告の病状、手術の内容の概略について説明を受けたが、その説明が始まるころ、その部屋に小柳が入つて来たので、大矢が、小柳に対し、小柳から原告の妻に説明するかどうか尋ねようと小柳に顔を向けて話し始めようとしたところ、小柳は大矢の言わんとする趣旨を察して、顔の前で軽く手を横に振つて否定の意思を示したので、大矢は、そのまま自ら原告の妻に前記の説明をした事実が認められる。

(4) その後の小柳の言動

<証拠>によれば、昭和五一年一月二一日、被告病院において、原告の妻と院長とが面会して被告の原告に対する診療の適否及び以後の対応について話し合つた際、原告の妻が第一回手術は大矢が執刀したと主張したため、院長が小柳を呼び、第一回手術の執刀者について、「君が手術をしたな。」と問いただしたところ、小柳は、「記載にはそうなつています。」と答えた事実が認められる。

(三)  以上(1)ないし(4)の各事実は一見すると、第一回手術の執刀者が大矢であつたことを示す事情のようであるけれども、以下のとおり、それらはいずれも大矢の執刀ということに直接結びつくものではない。

(1) 大矢の諸検査及び投薬の指示(前記(1)の事実)について

<証拠>によれば、被告病院においては、ある患者に対する治療を特定の主治医ないし担当医が専属的に担当するという方式を採用しておらず、最終的な判断と責任は院長が保持しつつ、複数の医師が協力して、意見を交換しながら治療を適宜分担してゆく方式をとつていた事実が認められる。

<証拠>によれば、昭和五〇年五月一〇日に、原告が被告病院に初めて来院した際、院長が診察して大矢に原告の諸検査を指示し、大矢から各検査担当者に指示が出された、それに基づき第一回手術に先立つ前記諸検査が実施され、また同様に院長の指示により投薬指示も一部大矢が出した事実が認められる(なお、証人大矢和光は、記憶は明瞭でないが、右五月一〇日の検査指示は、乙第一号証の一のうちの検査指示実施記録に小柳の筆蹟らしき部分があることから、小柳の指示に基づいて大矢が指示したと思う旨供述しているけれども、<証拠>によれば、右五月一〇日に原告の初診にあたつたのは院長であることは明らかであり、大矢は院長の指導下に同日付のカルテの処方、処置欄等を記載しており、また右五月一〇日の投薬指示も院長名でなされていると認められることから、右大矢の検査指示は院長の指示によるものと推認するのが相当である。)。

前記(二)(1)及び右認定の事実のうち、院長が未だ医籍登録していない大矢に検査や投薬の指示を出すよう命じ、大矢が看護婦や検査担当者に対し、あたかも自分が医師であるかのように検査や投薬の指示を出している点については、医師法上の観点からの当否はともかく、大矢の右の行為は、実質的には院長の指示の伝達をしたにすぎず、近い将来医師となるべき者の実習の一環としてこのような比較的軽微な医療事務を実施させることは経験則上充分ありうることであるが、そのことから直ちに、開腹手術という重大な医療行為を大矢に実施させたということまで推認させるものではないし、前記認定のような医師間の分業、協力体制の中では、手術の執刀医でない者がそれに先立つ検査や投薬の指示を出すことも特に不自然なことではない。

また大矢が前記検査の結果を小柳に報告していない点についても、検査結果を記した書面が診療録の中に編てつされて、前記のような医師間の分業、協力体制の下で各医師は適宜それを見て処置にあたりうることも経験則上明らかで、右検査結果を手術執刀者にあらたまつて報告していなくとも特に異とすべきことではなく、それが直ちに大矢の執刀を示すものとは言えない。

(2) 手術前後に原告が感知した状況(前記(2)の事実)について

原告が感知した状況は、前記のとおり、原告の胸部付近に張られたカーテンを隔て、しかも途中から麻酔をかけられた状態で感知したものにすぎず、その感知した内容も何ら確たるものではなく(例えば、小柳が誰かに指示していたと言つても、それは大矢に対する指示か看護婦に対する指示かも不明で、指示の内容も不明瞭であるし、また手術後誰かが一人で作業をしていたというのも誰が何をしていたのか不明である。)、従つて、前記認定の原告が感知した内容は右手術の執刀者が大矢だつたことを示す事情とは言えない。

(3) 大矢の術後説明(前記(3)の事実)について

一般に、手術後医師が患者またはその家族に対し、手術の際に把握した患部の状況や手術の概要、結果等を説明するについては、手術を実施した医師自らが行うのが望ましいと言えるけれども、執刀医自らは説明せず、手術の介助をした看護婦や執刀医配下の若い医師等に説明させることも経験則上ありうることであり、<証拠>によれば、被告病院においても、執刀医以外の者が術後説明をすることは少なからず行われていたと認められ、従つて、原告の第一回手術後の説明を、小柳でなく大矢が実施したからといつて、そのこと自体が、右手術の執刀者が大矢だつたことに結びつく訳ではない。

(4) その後の小柳の言動(前記(4)の事実)について

前記(4)で認定した小柳の言動は、診療録には自分が執刀した旨記載されているけれども実際は違うという趣旨に解すべきもののように見えるけれども、<証拠>によれば、小柳は日本における生活歴が長くないため、日本語に充分堪能でなく、しばしばその表現に拙ない点があつたと認められること及び<証拠>によつて認められる右発言のなされた際の状況に照してみると、小柳の前記発言は、被告病院における前記のような診療体制(担当医を決めず、院長が最終的な責任を負いつつ各医師が相互に協力して診療にあたる方式)の中で誰が右手術についての責任を負うべきかはともかく、右手術の診療録記載上の執刀者は自分であるという程度の趣旨にも解しえないではなく、以上の点からして、右発言の真意がいずれにあつたかはともかく、右発言は、必ずしも小柳が執刀者でないことを是認した趣旨と認めるべきものとは言えず、右小柳の言動をもつて原告に対する第一回手術の執刀者が大矢であつたと推認することはできない。

(四)  以上によれば、前記(二)(1)ないし(4)の各事実から、原告の第一回手術の執刀者が、当時未だ医籍登録されていなかつた大矢であつたと推認することはできず、<証拠>により、第一回手術の執刀者は小柳であつたと認めることができる。)。

3  第一回手術における腹膜炎に対する処置の懈怠について

前出乙第一号証の一(そのうち特に手術指示実施記録の部分)には、術前診断として「腹膜炎(虫垂炎)」、手術診断として「限局性腹膜炎」、術名、術式として「虫垂切除術、排膿、腹膜炎手術」と各記載され、また術中、術後に輸液としてかなりの量の抗生物質が投与された旨も記載されている。

右の記載及び<証拠>を総合すれば、原告に対する第一回手術において、原告の虫垂切除の措置のみならず原告の腹膜炎に対する処置もとられたと認められる。

ところで、<証拠>によれば、第一回手術から八日後である五月二〇日に実施された諸検査の結果によると、赤血球沈降速度及び白血球数が平常値よりも高く、右時点で原告の腹腔内患部の炎症が高まつた状態にあつたものと推認され、このことから第一回手術における腹膜炎に対する処置が不充分だつたのではないかとの疑問が生ずる余地はあるけれども、<証拠>によれば、患者の全身状態等のいかんによつては、腹膜炎手術の八日後ではまだ患部の炎症が鎮静化していないこともありうるものと認められ、右五月二〇日の時点で原告の患部の炎症が高まつた状態にあつた事実のみをもつて第一回手術における原告の腹膜炎に対する処置が不完全であつたと推認することはできず、他にも右の処置が不完全であつたと認めるに足りる証拠は存しない。

三同2(二)の事実について

1  ドレーンを挿入しなかつたことの当否について

第一回手術において原告の腹部患部にドレーンを挿入する措置をとらなかつた事実は当事者間に争いがない。

そこでその当否について検討すると、<証拠>によれば、第一回手術の際の原告の腹腔内患部の状況は、虫垂が腹膜に半ば埋もれたような状態になつており、炎症は、虫垂部分から腹膜特に後腹膜にまで及んでいたと認められること、前記認定のとおり右手術から八日後の五月二〇日の時点で原告の患部の炎症が高まつた状態にあつたことから右手術時点における炎症も決して軽度ではなかつたとの推測も成り立ちうること、及び<証拠>によれば、腹腔内患部の化膿が重篤な場合は医学上ドレーンの挿入が妥当とされる傾向にあると認められることの諸点からすると、原告の第一回手術においてドレーンを挿入する措置を実施した方が原告の腹部疾患に対する措置として適切ではなかつたかの疑問が確かに生ずる。

しかしながら、<証拠>によれば、本件原告のような腹部疾患の開腹手術に際し、ドレーン挿入による排膿措置をとるのと、あるいはドレーンを挿入せずにそのまま切開部を閉鎖して、以後は薬物等による治癒回復を待つ措置をとるのとを比較した場合、各々に利害得失が存し、例えばドレーンを挿入すれば患部の膿等を排出でき、腹腔内の状況もより的確に察知できる等の利点があるが、他方ドレーンを挿入せずに薬物等によつてそのまま治癒するならば術後の措置も比較的簡単にすみ、入院期間も短くて足りる等の望ましい面もあり、そしてどのような症状、どのような状況においてドレーンを挿入すべきで、どのような場合にそのまま切開部を閉鎖すべきなのかについては、当該患者の患部及び全身の状態についての総合的な判定を要するとともに、ある程度限界的な事例について両者を選択する明確な基準が現在の医学において必ずしも確立してはいないと認められ、また本件においてドレーン挿入の要否の判断の前提となる第一回手術における原告の腹腔内患部の状況及び原告の全身状態については、その患部の状況について前記のような概略的な事実は認定できるものの、その細部及び原告の全身状態の総合的判断については、その性質上現時点における本件各証拠から認定するのは限界があり、以上の諸事情に照すと、前記認定のような事実は存するものの、その事実のみから第一回手術において原告の腹部患部にドレーンを挿入しなかつたことが被告の原告に対する診療義務の不完全履行であると断ずることはできず、その余の本件各証拠によつても右事実を認めるにはなお不充分であると言わざるを得ない。

2  第一回手術後における膿瘍形成防止措置の懈怠について前出乙第一号証の一(そのうち特に医師指示・実施記録の部分)、<証拠>によれば、被告は、原告に対し、第一回手術の翌日である昭和五〇年五月一三日から原告が第一回目の退院をした同月二一日(同日原告が退院したことは当事者間に争いがない。)までの時期において、右手術前より多い、通常の容器二単位分の抗生物質を投与しており、また食事については、同月一三日は流動食、一四日は三分がゆ、一五日は五分がゆ、一六日以降は全がゆが原告に与えられた事実が認められ、これらの事実からすると被告の原告に対する第一回手術後の措置が不適切だつたとは認められず、他にも右事実を認めるに足りる証拠は存しない。

四同4(一)の事実について

昭和五〇年五月二三日、被告病院において、原告に対する第二回の開腹手術が院長の執刀によつて実施された事実及びその際院長は原告の廻盲部を切除する措置をとらなかつた事実は当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、原告に対する第二回手術において院長が開腹した際の患部の状況は、第一回手術によつて切除した虫垂のあつた部分を中心に直径一四または一五センチメートル程度の広さで血液がかつた膿がたまり、そのためその付近の腸及び腸間膜は一部変色して半ば腐り、腸壁の組織が破壊されて著しく軟化した状態であつたため、手術中に抗生物質の投与を強力に行うとともに、右部分の膿を外部に誘導し、患部をぬぐつてそこにドレーンを挿入する処置をとつて手術を終わつた事実が認められる。

そこで、右手術において院長が右患部の切除をせずに、右認定のような処置をとつたことの適否について検討すると、<証拠>を総合すれば、虫垂炎等に伴う腹腔内の膿瘍ないし腸の瘻孔に対する処置としては、患部の切除も一法であるが、それは患者に対するある程度の危険を伴うので、右切除はせずに患部の排膿措置をして以後は抗生剤の投与と患者の体の自然治癒力による回復を待つのも一法であつて、いずれが妥当かは患者の症状等によつて異なるものと認められ、そして本件において前者の措置をとらなければならない特別の事情も認められないから、被告が第二回手術において患部切除の措置をとらなかつたことをもつて被告の診療義務の不完全履行と言うことはできない。

五同4(二)の事実について

1  <証拠>によれば、院長は、原告に対する第二回手術において、前記認定のとおり、原告の腹部患部の排膿の措置のみを実施して、以後は抗生剤と自然治癒力による治癒を待つという方針をとつたのであるが、その際、右手術後三か月ないし半年程経過しても自然治癒しない場合はもう一度開腹手術をして原告の廻盲部患部を切除する必要が生ずると認識していながら、右時点あるいはその後原告が退院して通院を続けていた前同年九月二〇日ころまでの期間に、原告またはその家族に、右の点について告知、説明しなかつた事実が認められる(右告知、説明をしなかつた事実は当事者間に争いがない。)。

更に、<証拠>によれば、原告が第二回手術後に退院した同年七月三日前後ころから同年九月ころまでの期間において、院長は、この時期に原告の廻盲部切除の手術をするのは早いけれども、いずれ右手術を実施した方がよいとの見通し、判断を有していた事実が認められる。

2  そこで、同年九月ころ以降の原告の病状について検討すると、<証拠>によれば以下の事実が認められる。

原告は、昭和五〇年九月二〇日に被告病院に通院したのを最後に、以後被告病院には行かず、同月二五日から横浜市立大学医学部病院(以下「横浜市大病院」という。)に通院を始め、同病院において、それまでの原告の腹部疾患の状況、被告病院における診療、手術の経緯の概略を話して診察、治療を受けたところ、横浜市大病院では、当初、原告の病状は虫垂炎術後瘻孔あるいは腸壁膿瘍と診断され、同年一〇月前半ころには、原告に対し更に開腹手術を実施して瘻孔部分を切除する必要があるか否かが検討され、同年一〇月一五日ころ、原告に対して手術のための入院の予約をとるようにとの指示まで出されたけれども、同月二一日には、それまで担当していた医師に代つて同病院の井出医師が診察し、その時点における手術は妥当でなく、気長に治療すべしとの診断を下した。更に原告は、同年一一月二五日から一二月二日まで高熱と腹部疼痛を主訴に同病院に急患として入院したが、この際も手術は実施しないこととされ、むしろこのときの病状は感冒と診断されて化学療法のみで退院したが、原告の腹部についてはその翌年あたりに時期を見て外科的処置(手術)を実施する予定として以後経過を観察すべきこととされたけれども、翌五一年一月二〇日に同病院に通院した際の診断では、原告の腹部瘻孔は閉鎖し、治癒したものとみなされた。

以上の事実が認められ<る。>

3  そこで検討するに、前記のとおり、院長は昭和五〇年九月ころまでの時期に、その時点では時期早尚だけれども、いずれ原告に対してもう一度開腹手術をして患部を切除した方がよいとの見通しを持つていたと認められるのであるが、右2で認定したその後の横浜市大病院における診療の経緯に照してみると、右時点以後昭和五一年一月ころまでの時期においても原告に対する三回目の開腹手術を実施することが治療上必要、妥当であつたとは認定できない。

そうだとすると、第二回手術後の実際の経過において原告に対する三回目の開腹手術が必要であつたとは認められないのであるから、院長が請求原因4(二)記載の告知をしなかつたことが診療契約の不完全履行と言えるか否かにかかわりなく、右の告知をしなかつたことと、原告の主張するその後の損害事実(仮にそれが認められるとしても)との間には因果関係が存するとは認められず、従つて、右告知をしなかつたことを根拠とする原告の主張も理由がない。

(菅野孝久 山下和明 池田直樹)

別紙計算表(一)、(二)<省略>

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